読書
3番の石坂です
先日読んだ本の中に
原因があって目的を使うのが普通ですが
目的のために原因が使われる人もいるという話がありました
例えば・・・
子供が宿題や勉強をやりたくなかったとします。
そんな時に母親に
「宿題やったの?」
「勉強しなさい!」
と言われ、
「今やろうと思ってたのに!」
「もうやる気なくなった!」
なんてふてくされるのはよくある話ですよね。
これも「母親の言葉」という原因があって
宿題をやらなくなったと捉えがちですが、
子供は「宿題をやらない」という
目的のための原因を探していたんです。
そこにちょうど「母親の言葉」
という原因があったので、
都合よく「宿題をやらない」
という目的を達成できたということです
母親が何も言わなかったとしても、
「テレビを見たいから」
「遊びたいから」
「疲れてるから」
など、
適当な原因を見つけて、結局は
「宿題をやらない」
という目的に進むという事です。
「疲れてるから」
「遊びたいから」
「忙しいから」
など、
原因を見つけて作業をやらないという行動のことみたいです。
目的は決まっているのですから、
原因や理由を見つけるのは簡単です
そして周囲には
「お母さんが言ったから、やらなかったんだよね」
と意味不明な共感を得ようとする努力をし
一度共感を得られると
「言ったお母さんが悪い!」
という、自分の事を棚に上げる発言を
繰り返す事になるでしょう。
そして、それで自分のことを棚に上げる成功体験をしてしまうと
それが自分にとって楽な方法であるので
ずーっとそのような方法をとってしまうでしょう。
「お父さんが○○だから出来なかった」
「○○先生の教え方が悪かったから成績が悪かった」
「ストレスがたまってしまったからやけ食いをしてしまった」
「熱かったり寒かったり雨が降っているから出来なかった」
しかしながら実際そうなったとしても、
「あなたの目的は本当にそこにあるんですか?」
との事です。
作業をやらない目的を達成したところで、
結局何も積み上がるものはありません。
強いて言えば
「他人のせい」
にしたり、
「言い訳のスキル」
が上がるかもしれません
ただ、
「それは本当に自分の目的か」
本当に達成したい目的は別にあるなら、
原因があっても達成できるように目的を見直したり、
目的のために別の原因を
自分で修正していく事が重要であり
目的が無いなら、目的がある人の足を引っ張る事は
最終的にも自分の為にもならないとのことでした。
自身も気をつけないとと感じました。